クライマックス 映画。 映画の法則③ クライマックス

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CLIMAX クライマックス あらすじ1996年のある夜、人里離れた建物に集まった22人のダンサーたち。 有名振付家の呼びかけで選ばれた彼らは、アメリカ公演のための入念な最終リハーサルをおこなっていた。 息もピッタリのリハーサルを終えて、ダンサーたちの打ち上げパーティがスタートする。 しかし、しだいに異様な精神状態に突入し、それぞれが理性を失っていく。 狂乱の一夜は始まったばかり…。 『CLIMAX』感想(ネタバレなし) 映画自体が「観るドラッグ」11月にも入るとそうこうしているうちに 忘年会シーズンに突入します。 最近の日本では渋谷などでの若者を中心としたハロウィン騒ぎが特別に問題視されていますが、個人的にはハロウィンばかり異常視しているくらいなら忘年会文化にメスを入れればいいのにと思わないでもありません。 忘年会の方が歴史的にも長く、そして問題性を起こしているにもかかわらず、見過ごされている慣習です。 泥酔者が急増し、街中ではあらゆるトラブルが続発。 警察がフル出動することになります。 海外の人も、普段は品行方正としているイメージの日本人が、街でところかまわず酔い彷徨っている光景に唖然とすることも多いとか。 やっぱり人間というのは 集団化し、加えてそこにアルコールが投入されると、コミュニティを脅かすほどの狂乱を平気で起こす生き物なのでしょうか。 今回紹介する 『CLIMAX クライマックス』という映画はそんな人間の本質的な生態を、アグレッシブな映像センスで描いた異色の一作です。 普通の映画とは思わないでください。 初長編監督作の 『カノン』(1998年)から彼のセンセーショナルなデビューは始まり、2002年の 『アレックス』では大胆なレイプシーンでショックを与え、2009年では 『エンター・ザ・ボイド』ではTOKYOを舞台に監督色に染め上げ、2015年の 『LOVE 3D』では性描写を徹底的に突き詰める。 そのセンスは言葉で説明するよりも とにかく映像を見てくれと言うしかない異様さ。 まあ、カルト的な支持を得るタイプのクリエイターです。 でも意外といったら失礼ですが、批評家ウケはかなり良く、カンヌ国際映画祭で芸術映画賞に輝きました。 「『カノン』を蔑み、『アレックス』を嫌悪し、『エンター・ザ・ボイド』を忌み嫌い、『LOVE3D』を罵った君たち。 今度は『CLIMAX』を試しに観てほしい。 毎度撮影方法でもひと悶着の論争が起きたりする場合が多いですが、『CLIMAX クライマックス』はいたって普通に撮ったとか(じゃあ、やっぱり過去作は普通じゃなかったのか…)。 アメリカでの配給は安心信頼の「A24」。 こういう尖った作品は日本では劇場公開されるあたり、日本の配給会社はその需要はわかっているんだなぁ…。 いや、単に私が見慣れてしまっただけか…。 アルコールを飲んで映画館に行くのは迷惑になる可能性もあるので積極的にはオススメしないのですが、『CLIMAX クライマックス』ならOKな気持ちにもなる。 そんな映画です。 雪上を歩いている女性を上空から映すドローン・アングル。 雪の中といっても雪遊びに興じているわけではありません。 その女性は倒れ、発狂し、這っていきます。 明らかに異様。 そこからOPクレジットとして 文字がドン!ドン!と挿入されて、画面はいきなり テレビ画面に映る人たちに変わります。 どうやら舞踊団に応募してきたダンサーたちひとりひとりをインタビューしたときの映像らしく、映像の中で彼ら彼女らはダンスについて語っています。 ダンスは自分の全てだとか、家族のサポートは得られているとか、そんなありふれた話。 それだけでなく、話題は 人間関係、セックス、そしてドラッグの使用経験にまで及び、質問を受けている当人もこれを見せられている観客も要領を得ないです。 なんでそれ聞く?っていう。 ここで映る人物の数も非常に多く、LOU、IVANA、EVA、ROCKET、RILEY、DAVID、SHIRLEY、OMAR、PSYCHE、JENNIFER、ALAIA、DOM、CYBORG、ROCCO、KYRRA、BART、GAZELLE、TAYLOR、SILA、SERPENT、EMMANUELLEと、名前が表示されるも シーンの切り替えが多すぎるために記憶がついていけません(この感想記事もキャスト一覧と海外サイトのシノプシスを参考にしました)。 この面接映像シーンが 10分くらい続いたところで、またもやOPクレジット的な企業名挿入が始まり、やっと本編らしき物語がスタート…と思いきや、 ダンスパフォーマンスの開始。 相当気合の入ったもの。 先ほどインタビュー映像に映っていたメンバーを含む集団が、音楽に合わせて見事な個性的スタイルでダンシングしまくる。 これが 5分くらい、長回しで続行。 凄い映像体験ですよ。 映画が始まって15分で、物語らしい物語が見えてこないのですから。 それが終わると、 あまりにもしれっと自然にパーティの日常へ移行。 ダンスしていた大きめのフロアの端に机が並んで立食で食事がとれるようになっており、各自テキトーにつまんだり、飲み物を飲んだり、談笑したり、相変わらず踊っている人もいます。 それにしてもこの建物はずいぶん質素というか、使われていない場所なのか、頼りないところです。 ところで私はダンス界隈のことを全然知りませんけど、ダンサーって飲み会していても日常的に踊るんですかね。 基本的には若者たちだけですが、メガネの子どもも一緒に交じっており、どうやら エマニュエルという女性の子らしいようで。 その子どもはしばらく後に寝かしつけられます。 一方、パーティはなおも絶好調。 各自が思い思いに語らい、自分の感情を吐露したり、相手との駆け引きがピリピリと進んだり、自由気まま。 この 取り留めもない会話が、極端に多いカットでテンポよく進んでいきます。 そして、またダンスパフォーマンス(これは余興的な遊びの一環っぽいですけど)が開始。 個々人で代わる代わる 上からの視点でダンスが行われ、上からのカメラアングルが徐々に回転しだすと、入り乱れて踊るようになっていき…。 ここで またもや人の名前の文字がバン!バン!と音楽に合わせて挿入。 映画時間の半分は経ったであろうかというところで、みんなが飲んでいるサングリアに注視したシーンが映り、そこから 「誰かがこのサングリアにLSDを混ぜてみんなに飲ませたに違いない」という疑心暗鬼が始まります。 取り仕切りを担当するエマニュエルが責められたり、酒の飲めない オマールが非難されて極寒の外に放り出されたり、密かに妊娠していて酒を飲まなかった ルーが攻撃を受けて自傷に走ったり、しだいに狂気じみた集団になっていく一同。 黄色い服の セルヴァはフラフラと精神の境を彷徨い、エマニュエルはそんな狂った集団から息子を守るべく、電気配電盤室に「出して」と訴える息子を無視して閉じ込めます。 狂気は音楽と共にテンポアップしていき、やがてクライマックスへ…。 簡単の言えば 「ダンサーたちが狂いました。 おしまい」という物語。 元も子もない言い方ですが、それが唯一の事実。 もちろんストーリー上の柱になるものはあって、例えば 「誰がLSDを混入させたのか」という犯人探し。 最後に犯人らしき人間が映りますけど、でもこれ自体はもはやどうでもいいというか、後の祭りに過ぎません。 また、本作は1996年という設定なのですけど(だからスマホのようなアイテムは出てこない)、基になった話があって、 1990年代のフランスの都市伝説に大まかにですが触発されているのだとか。 ただし、この話自体も嘘か本当かわからないので、あまり整合性とかは気にしていられない。 じゃあ、どういう視点で腰を据えればいいのか。 監督は 「13歳~15歳ぐらいの思春期の子たちが観たら、いかにアルコールやドラッグが有害であることが分かると思う」なんてインタビューで語っているのですけど、いや、まあ、確かにその危険性はこれでもかとたっぷり詰め込まれていました。 誰でも本作を観れば同じ目に遭いたいなとは思いませんよ。 しかし、薬物乱用防止キャンペーンにはとうてい使える素材じゃないです。 さすがに薬物問題を扱う関係機関も『CLIMAX クライマックス』とはコラボしないでしょう(実際してないし)。 というか、たぶん普及啓発に取り組む真面目な組織は、本作みたいな薬物のトリップをアーティスティックに描く行為自体、あんまりよろしく思っていないと思いますが…。 どう考えても誤解を与えていますからね…。 でもいいんです。 いや、よくないですけど、しょうがないんです。 監督の趣味嗜好が一切の臆面もなくこぼれまくっています。 監督の趣味が舞い踊る無論、『CLIMAX クライマックス』の魅力の主は 「音楽」。 私は音楽にはそこまで詳しくないものの、本作の音楽の使い方がかなり凝ったものになっているのはなんとなく察せられます。 あの独特のカメラアングル、文字の挿入、あげくには終盤には真っ赤なライトの点滅するフロアを映す映像は逆さまになり、 文字まで上下反転するという…。 完全に観客に見せる気ないじゃないかという、大混乱なアプローチ。 ダンサーたちのチョイスも良いですよね。 このキャスティングにかなり力を入れたのかな。 LSDのせいで表現のストッパーが消えた人間の末路がとてもよく表されていて、こうなってくるとダンスと演技に壁はないですね。 さらに監督の趣味を堂々と示すのが序盤のインタビュー映像が流れる テレビ画面の横に無造作に置かれているいくつもの本とDVDの数々。 全部挙げるとキリがないので一部を紹介すると、『サスペリア』『ゾンビ』『切腹』『アンダルシアの犬』など無数の名作が山積みに。 警察もドン引きの壮絶で悲惨なクライマックスが待っている本作ですが、監督本人は勝ち誇っていますよ。 LSDを盛ったのは監督だったんだ(早合点)。 要注意人物ですよ。 絶対になんか混ぜてきます。

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解説 「カノン」「アレックス」「LOVE 3D」などさまざまな問題作を手がけてきたフランスの鬼才ギャスパー・ノエが、ドラッグと酒でトランス状態になったダンサーたちの狂乱の一夜を描いた異色作。 1996年のある夜、人里離れた建物に集まった22人のダンサーたち。 有名振付家の呼びかけで選ばれた彼らは、アメリカ公演のための最終リハーサルをおこなっていた。 激しいリハーサルを終えて、ダンサーたちの打ち上げパーティがスタートする。 大きなボールに注がれたサングリアを浴びるように飲みながら、爆音で流れる音楽に身をゆだねるダンサーたち。 しかし、サングリアに何者かが混入したLSDの効果により、ダンサーたちは次第にトランス状態へと堕ちていく。 「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」のソフィア・ブテラ以外のキャストはプロのダンサーたちが出演し、劇中曲として「ダフト・パンク」「ザ・ローリング・ストーンズ」「エイフェックス・ツイン」などの楽曲が作品を盛り上げる。 ある者は感動して涙を流し、またある者は嫌悪のあまり嘔吐感すらあらわにする。 その千差万別の反応こそノエ作品の醍醐味。 もしくは私たちは彼の映画を通じて自分自身を見つめているのかも。 そんな彼の新作は今回もぶっ飛んでいた。 冒頭から挑発的で、実験的で、ニヤニヤが止まらなくなる。 だがそこを抜けると、雪に閉ざされたホールで夜な夜なダンス・パーティーが始まり、集いし若者たちが超長回しでとにかく素晴らしい身のこなしで延々と舞う。 この時点でテンションはMAXなのだが、そこから事態はツイストし、狂喜乱舞し、地獄のような悪夢へ。 ワン・アイディアを瞬発的に発展させたような作りでありながら、過去のノエ作品のタブーが散りばめられた集大成のようにも思える。 強烈なのに何度も観たくなる、中毒性の高い一作かと。 くれぐれも油断は禁物だ。 確か…Instagram だったと思う。 予告編が流れてきて、圧巻のダンスパフォーマンスに興味が湧いた。 ちょっとだけ、パーティーとか、ドラッグとか、どうでも良かったんだよね…。 でも、このコロナのせいで、特別興行で、割安で鑑賞できたので、観てみました。 でも、それだけ…。 誰が、何のために、サングリアに何かを入れたのか…とか、明かされぬまま終わりました。 ダンスパフォーマンスは、本当に、素晴らしかった。 個人、個人のパフォーマンスは、下手じゃない?って人もいましたが、全体的に見ると、素晴らしかったです。 パーティーとか、ドラッグとかじゃなくて、もう少し、正統派のストーリーにすれば良かったのに…。 もしくは、きちんと、謎を明かしてくれたら、もっと違う感想を持てたのに…。 ちょっと残念でした。 「スパイ in デンジャー」 C 2020 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved. 「パブリック 図書館の奇跡」 C EL CAMINO LLC. ALL RIGHTS RESERVED. 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved.

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ジョン・ウォーターズのベストテン2019栄冠に輝いたのは『CLIMAX クライマックス』チェ・ブンブンのティーマ

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ギャスパー・ノエ監督最新作『CLIMAX クライマックス』が11月1日に公開となった。 『カノン』(1998年)、『アレックス』(2002年)、『エンター・ザ・ボイド』(2009年)、『LOVE【3D】』(2015年)と作品を発表するたびに賛否を巻き起こすノエ監督が今回描いたのは、知らず知らずにLSD入りのサングリアを飲み、集団ドラッグ中毒に陥った、雪が降る山奥の廃墟に集まった22人のダンサーたちのカオスの一晩だ。 1996年に実際に起こった事件にインスパイアされているという本作。 プロモーションで来日を果たしたノエ監督に、1996年という時代設定の背景や、3度目のタッグとなったダフト・パンクのトーマ・バンガルテルとのコラボについて語ってもらった。 「自分が描きたかったものが1996年という時代にピッタリだった」 ーー今回の作品は1996年に実際に起こった事件にインスパイされているそうですね。 1996年という時代設定にどのような思いを込めたのでしょうか? ギャスパー・ノエ(以下、ノエ):1996年は今から約20年前ということになるけれど、そんなに昔という感覚にはならないよね。 今のように携帯電話が普及する前の時代であるからこそ、このストーリーが際立つんじゃないかと思ったんだ。 最近の映画の時代背景は、どれもそんなに違いがあるわけではない。 一方、20年前はそこまで昔ではないけれど、今とはもう全く違う感覚。 そういうことが、この映画を観た人に伝わるんじゃないかと思ったんだ。 今は携帯電話があるから、どれだけ孤立しても、どれだけ危険な状況に陥っても、携帯を使って助けを求めることができる。 だけど、1996年はそういう時代ではなかった。 この映画は20年前の話だけど、これから20年後がいったいどういう状況になっているのかはわからない。 20年後はそんなに遠い未来ではないけれど、人々の生活のあり方は著しく変化していくだろう。 そういうことを考えながら、今回は自分が描きたかったものが1996年という時代にピッタリだと思ったんだ。 ーー今回の作品にはもちろん携帯電話は出てきませんが、映画の中で携帯電話を登場させるのにも懐疑的なのでしょうか? ノエ:携帯電話は今や一般的なものになっているけど、僕は映画の中でそれを映すことにはそんなに魅力を感じない。 ただ、時代設定が現代だったら、携帯電話を映さざるを得ないよね。 そこはつねにジレンマに感じているんだ。 なぜ映画の中で携帯電話を使いたくないかを説明するのは難しいんだけど、僕自身、実生活でも携帯電話をあまり使わないタイプだし、携帯電話をよく失くしてしまうこととも関係があると思う。 携帯電話がない生活の方がラクだし、考えてみれば、携帯電話がない時代の方が世の中はシンプルだったからね。 ーーそれこそ今はスマホで映画を観る人も増えていますが、そこに対してはどのような見解を? ノエ:スマホで映画を撮るのはいいと思うよ。 昔のビデオのような感覚だよね。 でも、スマホで映画を観るのは嫌だ。 作品がかわいそうな気になってしまうんだよね。 僕はインターネットは少しやるけれど、家にはテレビがないんだ。 スクリーンがあるから、劇場で観て気に入ったものを、Blu-rayやDVDで買ってスクリーンで観たりする。 やっぱり映画は大きなスクリーンで観たいからね。 ーー今回の映画は登場人物たちのインタビューシーンから始まりますが、テレビの横には『サスペリア』や『切腹』などの作品のVHSが並んでいましたね。 ノエ:あそこにあるVHSや本などは、1996年近辺に僕自身がよく観た作品や好きだった作品なんだ。 僕はスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』が大好きなんだけど、あの作品を初めて観たのは6歳とか7歳ぐらいの頃だった。 だから、自分にとっての未来は、あの映画で描かれているものだったんだ。 だけど、実際の2001年は、全くあのレベルに追いついていなかった。 それは、インターネットとピル。 地球環境が変わったのも大きいね。 その3つが、私たちを取り巻く第二次世界大戦以降の変化に影響を与えたものじゃないかな。 30年後の世界がどうなっているかを考えた時に、僕らの世代が責任を取れないような時代になっているのではないかと危惧しているよ。

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