平成は何年間ありましたか。 明治、大正、昭和、平成、令和はそれぞれ何年から何年まで?それぞれ何年間続いた?大正が短い理由と簡単な計算方法も一緒に解説!

明治、大正、昭和、平成、令和はそれぞれ何年から何年まで?それぞれ何年間続いた?大正が短い理由と簡単な計算方法も一緒に解説!

平成は何年間ありましたか

おはようございます。 のけんけんです。 昨日から失敗体験談を書いています。 をイメージしておりますが・・・。 多年度生の方に申し上げますが、私は別に 受験生活が長かった事は「しくじり」だとは全く思っていません。 意地でも頑張った証だと思っています。 合格してしまえば受験に何年かかったなんて関係ありません。 これだけ長い期間受験させてもらった家族には感謝しかありませんが。 合格したらまた違う世界が待ってますよ。 今日は私の失敗体験談平成25年をお送りします。 平成24年に1次試験合格しておりますので、平成25年は2次試験オンリーで大丈夫でした。 当時は1年間2次試験を勉強すれば絶対合格できると信じておりました。 そこに油断があったのもしれません。 本当は平成24年1次試験合格後に銀行から養成課程に派遣してくれるはずでした。 しかし、人事部からのお達しは「年齢制限がありまして・・・」。 そんなの何処にも書いてないじゃん・・・とゴネまくりましたが結局ダメ。 「所詮人生こんなものか」と諦めてとりあえず自力で合格して、このダメ銀行を見返してやろうと思っていました。 平成24年は東京の予備校に通っていましたが、平成25年からはオンラインスクールで勉強しました。 当時はZoomなどは当然無い状況ですし。 今は指導を止められておりますので、名前は出しませんが間違いなく私の診断士試験の基盤を形成しているのはあの指導があったからだと思っています。 他の受験生とオンラインでつながりながらの勉強。 地方に住んでいる人間にとっては画期的でした。 ちなみに 診断士合格前も合格後もはあります。 実務補習も大都市しか開催されませんし。 今はZoomなどでその格差も徐々に解消されていると思いますが。 (ちなみにタキプロでもZoom勉強会を開催していますので、ご興味のある方は是非参加願います。 直近では7月4日開催です) 自分では平成24年に事例4でA判定を取った事もあり、事例4で高得点を稼いで合格しようと思っていました。 これが後で絶望を生むことになるのですが・・・。 平成24年は予備校に訳わからん指導に振り回された経験を活かして、自分なりのノウハウを積み上げました。 この頃から一発合格道場のブログを毎日読みだした気がします。 そう当時の戦略は事例4で高得点ゲット。 事例1~事例3は平均点を目指す事でした。 事例4は相当演習をこなしました。 当時の事例4は今のような難易度では無く激ムズ。 平成19年から平成22年頃までが激ムズゾーンかも知れません。 (試しにトライしてみて下さいね) 2次試験で合格するものと思っていたので1次試験は当然スルー。 保険受験なんて言葉も知りませんでした。 そんな感じで結構万全の状態で臨んだ2次試験。 初っ端の平成25年事例1で衝撃を受けます。 なんじゃこれ・・・。 良く分からん。 与件短い。 第1問はのはずがいきなり助言問題。 完全に舞い上がっています。 並にクルクル回っております。 気を取り直して事例2へ。 しかし事件が起きます。 いきなり図表が現れます。 それも電卓が必要・・・。 そんなの聞いていないっす。 今では事例2に図表は付き物ですが、平成25年からこのパターンが始まりました。 (確か・・・)この時点で4回転ジャンプになっています。 事例3は普通に解きました。 あまり記憶はありませんが。 しかし、この時点で合格するためには事例4で一発逆転するしか方法がありません。 事例4で試験開始後にまた事件勃発です。 PLが無いんです、どこにも・・・。 印刷ミスかなと思いました。 試験会場がどよめいた事を覚えています。 知らない論点大勃発で試験時間中に1年間何を勉強してきたのか、泣きそうになった事を覚えています。 試験会場を出てから放心状態でしたね。 結果は当然不合格。 確かBCCCだったと思います。 昨年の成績からも落ちていました。 ここで診断士受験を止めようと思いました。 2次試験に落ちたという事より、また1次試験に逆戻りという事に絶望感を感じました。 これが3年目の学習記録になります。 ここで失敗を振り返りましょう。 ・2次試験は学習した結果が必ず成績に反映されるとは限らない ・本試験では必ずサプライズが起きます。 そんなときでも冷静に対処する方法をあらかじめシュミレーションしておく ・2次試験はしがみつく試験という事を認識する(難問が出ても諦めない姿勢が重要) そんなところでしょうかね。 では、今日はここまでにします。 参考になりましたら、是非猫クリック!!宜しくお願いします。 kenken7749.

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私の平成30年間を振り返ってみました

平成は何年間ありましたか

「内災外乱」ですね。 私のまったくの造語です。 そもそも平成という言葉は「内平らかに外成る」からきているわけですが、実際には内(うち)、つまり国内は決して平らかではなく、実にさまざまな災害があった。 そして外(そと)成る、本当に平和が訪れるかと思いきや、東西冷戦が終わってから湾岸戦争やイラク戦争などさまざまな紛争が続き、今も米中の貿易摩擦・・・と乱れているわけで、とっさにこういう造語を作ってみました。 この30年間を振り返って非常に深く印象に残る事件といいますと、やはりこれはオウム真理教の事件ですよね。 オウム真理教は宗教法人の認可がある宗教団体。 ですから、何か変なことをやってるな、とみんなが思っていても、警察や検察にしてみれば、うっかり手を出すと宗教弾圧だと言われかねないというところがあって、ためらいがあったような気がするんですね。 それが、あれよあれよという間に大変な事件になってしまった。 それは捜査側の反省点ですね。 また、何で若者たちがあそこにひかれていったのか。 そもそも既成の仏教なりキリスト教なり神道なりがあるわけですよね。 そういう既成の宗教が若者にとって魅力に欠けているのではないか、既成の宗教団体はどうあるべきか、という反省を迫った事件でもあったと思うんですね。 バブルが崩壊して若者たちの間に閉塞感というのが広まってきて、どう生きていけばいいんだろうか、という悩みもあったわけですよね。 東西冷戦時代は、世の中は非常に構造が簡単で、どっちがいいかという対立構造だったんです。 それがなくなってしまった時に、さあ自分はどうしたらいいんだろうかという悩み、それをうまくすくい取ったのがオウム真理教だったと思うんですね。 ソ連が崩壊してロシアになりましたが、ソ連の時には共産主義という目標があったわけですよね。 共産主義は、ソ連にとっての宗教のようなわかりやすい役割を果たしていた。 それが崩壊した途端、ソ連の人たちも思い悩んだりして、その中で急激にいろんな宗教が出てきて、オウム真理教も実はロシアで信者を増やしたんですね。 何となく日本もそれと同じような構造になっていたのかなという気がしますね。 首都圏のニュースのキャスターのころには、横浜の坂本弁護士一家が消息を絶った、一体どういうことなんだろうというのを取材したり、インタビューしたりしていました。 そしてこどもニュースの担当になったら、オウム真理教の事件だということになって、警察が家宅捜索に入ることに。 その時はとにかく子どもたちからの素朴な質問にどう答えるのかっていうことに追われていたというところがあります。 子どもたちから「サリンってどうやって作るんですか」みたいな質問や、オウム真理教の弁護士がテレビに出ていると、「悪いことする人を弁護してもいいんですか?」などという質問がきて、非常に素朴な子どもたちの質問に大人としてどう答えればいいのか、ということを考えていました。 そこで、そもそも日本の司法制度ってどうなっているんだろうかとか、あるいは彼らはどうしてこのようなことをやったのか、ということを非常に考えまして、当時はオウム真理教が出しているさまざまなパンフレットとか、彼らにとっての教科書のようなものを次々に読みましてね。 自分なりに勉強してみたら、ヒンズー教と仏教を、彼ら流に独自に混交して、ちょっぴりキリスト教の終末論を振りかけた、そういう宗教の構造になってるんだなっていうのを感じましたね。 でも考えてみますと、日本でも新興宗教というのが広がっていったのは、1つは第2次世界大戦後の混乱期です。 非常に貧しい中で、どうやって生きていけばいいんだろうかという時に、この宗教を信じると救われるとか、出世するとか、病気が治るよという、ある種の現世利益を追求するような、そういう形で新興宗教が広がっていきました。 もう1つは、平成のはじめです。 バブルがはじけて以降、閉塞感の中でどうしたらいいかっていう時に、「こうすればいい」というのがなかなか出てこなかったのかなって思うんですね。 目標がなくなってしまって、どう生きたらいいかってことを一人一人が突きつけられるわけですよね。 その時にオウム真理教のようにひたすらこれを信じて出家をし、ひたすら修業をしていれば輪廻転生から解脱できるんだよっていうと、ある意味楽なんですね。 これ以上なにも考えなくていいわけですね。 言われたとおりのことをやっていればいいというと、心の安寧が得られる。 そこに彼らが魅力を感じたんではないか。 本当は民主主義の世の中で、一人一人がどうあるべきかってことを考え、一人一人が判断する、そういう時代であったはずなのに、政治の方も混乱が続いて若者たちの悩みに対応できなかったのかなと思いますね。 そうだったと思いますね。 平成になる前は、東西冷戦の中でも日本国内でも、例えば社会主義を目指すんだという政治勢力と、資本主義の経済体制が大切だという勢力でも対立というのがあったわけですよね。 ところがソ連が崩壊し、中国の経済体制もまるで資本主義そのものになってきた時に、「社会主義ならいい」という単純な解決がなくなってしまった。 一方で、それまでは資本主義の側にも、格差が広がると社会主義勢力が伸びてしまうかもしれないので、「なるべく格差がないように」という配慮があったんです。 でも「資本主義が勝ったんだ、資本主義バンザイ」ってなった結果、非常に格差が広がっていく。 そうすると格差社会の中でまた悩みを抱く人たちが出てきて、それに対する処方箋が与えられないまま今に至った、それが平成かなと思いますね。 日本だとやっぱりオウム真理教の事件ですけど、世界で見るとやっぱりそれはベルリンの壁の崩壊ですね。 壁が崩壊し、東西冷戦が終わった時に、ああこれでやっと世界に平和が来るんだと思ったら、湾岸戦争が始まっちゃった。 要するに戦後の枠組みが外れてしまったために、むしろ世界各地でさまざまな紛争が多発する時代になった。 これはやっぱり平成になってから世界で一番大きな出来事ですね。 平成になって世界が大きく変わる中で、日本がこれでいいんだろうかという。 「世界はこんなに大きく変わっているのに、日本がこのままでいいのか、実は日本というのはさまざまな規制によってがんじがらめになってるじゃないか、規制を取り払うことによってさらに一段と成長するんだ」といって、構造改革や規制緩和が始まりました。 そのこと自体は決して間違いではなかった部分もあると思うんですが、実際にやってみたらなにが起きたのかというと、一段と格差が広がってしまった。 大規模小売店舗法の規制があった時代には、デパートでもスーパーマーケットでも週に1度は休みがあって、そんなに深夜までは営業をしていなかった。 それが何でも自由になった結果、非常に多くの人の過重労働につながってしまった。 とにかくサービスを向上させなければいけない、それはその通りなんですけど、それによって非常に過酷な労働が増えてしまった。 それが今、働き方改革ということにつながってきている。 政治改革もずいぶんありましたね。 「金のかからない選挙制度にしなければいけない」と言って、小選挙区比例代表並立制にしてみた。 これはこれで良さもある一方で、政治家一人一人が小粒になったんじゃないかとか、どうも昔のような大物政治家が現れないよね、これは選挙制度のせいではないか、という声も出てきた。 これから検証していかなければいけないんですけど、いろんな政治の問題はみんな選挙制度に起因するんだ、みたいな議論がまた起きてきていますよね。 まさにこれから新しい時代を迎えるにあたって、平成の時に行われたさまざまな改革が果たして良かったのか悪かったのか、これを冷静に考えることができる時代になるんだと思いますね。 今はまだ、それぞれ当事者がいますでしょう。 制度を変えるときに旗を振った当事者がいると、なかなか言いにくいところもあるわけです。 そういう人たちが表舞台から退場すると、非常に冷静に議論ができるという、まさにそういう時代かなと思いますよね。 平成の30年間、メディアと権力の関係は、変わってきたと感じますか? メディア一般で言えば、それはあまり変わらないと思います。 かつて私が警視庁記者クラブで警察をずっと取材していた時に当時の先輩から言われた言葉があって「密着すれど、癒着せず」と。 警察取材では、捜査員から話を聞き出さなければいけないですよね。 その時に最初からけんか腰では情報が得られない。 ちゃんと密着して取材をし、そして信頼を得て情報を得なければいけない。 けれども、癒着してはいけない、という教えですよね。 これはもうどこのメディアでも同じことだと思うんですよ。 政治の話だって経済の話だって、さまざまな事件取材だって、密着しなければ情報が取れない。 だけど気をつけていないと、いつしか癒着することによって、当局にとって都合の悪いことは報じないでおこうとか、それによって相手の心証をよくして別の情報を得ようって考えたり、あるいは相手が伝えたいことを率先して伝えることによって気に入られようとしたり、という誘惑はいつでもあると思うんですよ。 そことどう戦っていくのかというところにおいては全く変わらない、昔も今も同じことだと思ってますね。 私の場合は選挙番組を民放でやっているんですけれども、これはですね、選挙報道の王道というNHKがあるからこそできるんですね。 つまり「今それぞれの市町村で一体どれだけ開票されているのか」「誰が当選確実なのか」ということをちゃんとやってくれる番組があるから、ゲリラのようにそれ以外のところでいろんな工夫をしてみようということが成り立っている。 私がNHKで選挙報道をやっているころには、出口調査なんてなかったんです。 ひたすら事前に取材をして票読みをしていた。 そしてそれぞれのところで開票状況を取材して速報し、どれだけ早く「当選確実」を出すか、そのために事前に一生懸命いろいろ調べてきたわけですね。 ところが今は出口調査があって、8時になった途端に「獲得議席予想」っていうのが出ますでしょう。 昔は、選挙の結果がどうなるんだろうかってずっとNHKの開票速報をくぎづけになって見てたわけですが、今は8時になった途端、「あっ分かった、もう結果わかったから見ることないよね」って他の局へ回しちゃうんですよ。 その点、今私がやっている番組の放送局は、幸か不幸か取材力がNHKほどなくてですね、綿密な事前の取材とか、あるいは当選確実を早く出すってことがなかなかできない。 だったらこれは選挙速報ではなくて、ちょうど開票の時に合わせて政治について考える知的エンターテインメントにしよう、と考えた。 つまり全く違うものを作ってるということなんですね。 それはね、言ってみれば私の今の立場があるからだと思うんですよね。 継続的に政党や議員にずっと取材をしていると、「テレビで聞かれたくないことを聞くと、相手との関係が悪くなってしまう」って、ある種ブレーキがかかることはあり得るわけですよね。 私は今、完全なフリーランスであって、いろんなことを取材しますけど、特に政治のことだけを取材しているわけではない。 はっきり言ってしまえばどこかの政党の党首に嫌われても私は構わないんですよ。 別にそこで勝負をしていないから。 だから誰にだってずけずけと聞くというのは、実はそういう私の立場があるからで、みんながそうすべきだって私は決して言いません。 それぞれの立場があるだろうということです。 ただし、私のああいう形がもし支持されたとするならば、やはり視聴者は、政治家とメディアが激しく衝突するとか切り結ぶとか、そういう緊張関係を実は求めているんじゃないか。 そういう意味では既存のさまざまなテレビのメディアにしても、もう少し取材対象との緊張関係を持つ、あるいは視聴者に緊張関係を持ってやり取りしているんだなということを分かってもらえるような、そういう放送のあり方ってあるべきじゃないかなと思いますね。 災害がずいぶん起きたり、あるいは若者への閉塞感があったり、ということで言えば決してそんなにいい時代であったとは言えませんけれども、ただ天皇誕生日にあたって、天皇陛下が平成を振り返って「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」ということをおっしゃいましたよね。 そういう意味では、世界中でさまざまな紛争や戦争があった中で、少なくとも日本ではそういうことがなかったということで見れば、世界から見れば日本っていうのは幸せな30年間だったと思いますね。 海外に取材に行けば行くほど、ああ、日本てなんて幸せな平和な国だろうと思いますよ。 ないですね。 実感はないけれども、こうして新しい年を多くの人が迎えられるっていうこと自体、実は世界の中で見れば日本というのは平和だったし、恵まれていたと思いますよ。 昭和の時代は戦争で彩られていましたからね。 昭和って64年、まあ63年と7日間なんですけれども、本当に、第二次世界大戦をはさんで全く変わりましたよね。 その前は本当に、日本はさまざまな戦争をして、多くの犠牲者が出た。 戦後、非常に平和な時代が続き、それが平成になっても続いてきたんだと。 昭和はね、ひと言でくくれないんですよ。 ところが平成はひと言で言えば、まあとにかく戦争なかったんだよねって言える時代ですよね。 それで言うと、既成のイデオロギーというのが、もろくも崩れていったという時代だと思うんですね。 昔は社会主義とか共産主義が光り輝いて見えていた人たちがいたわけですけれども、それが色あせてしまった。 そして一方で、資本主義が素晴らしいと言っていた人たちもいた一方で、格差が広がった。 しかも、このところ世界的に金利が非常に下がってますよね。 そもそも資本主義っていうのは、金融の「金利」というのがあってこそ発展するんですよね。 融資を受けて新しい仕事をする、そして金利を付けてお金を返さなければいけない、ということは、常に成長していかなければ、金利の分のお金を返すことができないわけですよね。 この金利があるから経済は発展してきた。 ところが今、世界中でどんどんどんどん金利が低下してしまって、ほとんどゼロに近いような状態になってしまっているってことは、つまり資本主義が発展しなくなってきているという証左でもあると思うんですよね。 そういう時に資本主義がどうあるべきかっていうところでも、資本主義経済が素晴らしいんだって言っていた人たちの中にも反省が起きている。 どちらのイデオロギーも色あせてしまった、そういう時代だったと思います。 とても難しい質問だと思うんですけれども。 例えばアメリカで、自分の国さえよければいいという人が出てきている。 ヨーロッパでも、それこそイギリスだって、EUから離脱してイギリスファーストっていう考え方になったり、いろいろ混乱が広がってますよね。 自分の国さえよければいいんだという考えが世界にわあっと広がっていく中で、しかし日本は今のところ、日本さえよければいいんだってことはしてないですよね。 やっぱり国際協調が必要だということをやっている。 これがギリギリ歯止めになっているのかなと思います。 一方で、アメリカでもヨーロッパでも「自分の国さえよければいい、というわけじゃないよね」という動きが出てきましたね。 物理学に作用・反作用っていう考え方がありますが、何かが起きると必ずそれに対する反作用が起きるんですよ。 平成の30年間っていうのは、東西冷戦が終わってグローバリズムが大きく広がった、世界が1つの大きなマーケットとなった、という作用が起きた。 そしたらその結果、ものすごく格差が広がってしまって、「自分の国さえよければいい」という反作用が起きた。 それが現在だと思うんですね。 すると、作用が起きて反作用が起きれば、またそれに対する反作用がこれから起きる。 新しい時代、また新しい動きが出てくる、それを見るのが楽しみだなって思っていますね。 日本国内でも今、さまざまなことで対立が起きたり、特にネット上でさまざまなヘイトスピーチが出てきたりですね、政治的にきちっと真正面から対立するのではなく、単なる揚げ足取りであったり、単なる憎しみの言葉を投げつける、そういう世の中になってきていると思うんですよね。 それではやっぱりいけないわけで、意見の違いは違いとしながら、余計な対立ってのはやめたほうがいいんじゃないかという思いがあります。 外=世界はもう、平和であってほしい。 そもそも平成というと、やっぱり外も平和であってほしいという意味の元号ですから。 今度こそ世界が平和になってほしいという、本当にこれは願望ですね。 今いくつもの大学で大学生を相手に授業をしているわけですね。 そうしますと非常にはっきり2つに分かれてるんだなと。 ごく一部の学生たちは、これから世界で活躍したいと、こう思っている。 中には、高校時代に、進学先として海外の大学を選ぶ若者たちも出てきているんですね。 そうやって世界で活躍するにはどうしたらいいんだろうかって考えている人たちがいる一方で、多くの人が何でわざわざ海外に行くのと。 海外に行こうとすると、親からそんな危険なところ、行くのやめなさいって言われたり、日本国内で全部済むんだからいいじゃないと言われたり、という、非常に内向きの若者たちが増えているという感じがするんですね。 留学生も全体としては減ってきているというところがあります。 若者たちにはですね、もう少し冒険をしてほしいと思うんですよ。 若い間だからこそできる冒険、もちろんこれは必ず海外に行きなさいという意味ではないですよ、ただ、自分の殻にこもっているんではなく、もっといろんなことに挑戦してみてほしい、チャレンジして冒険してみてほしいと思いますね。 既成概念にとらわれることなく、あるいはステレオタイプな物の見方に左右されることなく、自分の目で見て判断するんだ、人の言ったことを、ああそうなんだってそのまま鵜呑みにしないで、自分の目で見て判断する。 そういう行動力と判断力を持った若者になってほしいと思います。 【プロフィール】 池上 彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト。 1950年生まれ。 1973年にNHKに入局。 1994年から「週刊こどもニュース」のお父さん役をつとめ、2005年にフリーランスに。 ニュースや時事問題をわかりやすく伝える解説者として、テレビ番組などで活躍。 著書も多数。

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明治、大正、昭和、平成、令和はそれぞれ何年から何年まで?それぞれ何年間続いた?大正が短い理由と簡単な計算方法も一緒に解説!

平成は何年間ありましたか

明治、大正、昭和、平成はそれぞれ何年から何年まで? 明治、大正、昭和、平成はそれぞれ何年から何年までなのか、まとめてみました。 明治は何年明治は何年から何年まで続いた? 明治は1868年1月25日から1912年7月30日年まで続きました。 江戸時代が終わり、西洋化進みました。 明治時代からは 一世一元の制が取られており、一人の天皇につき、一つの元号が定められるようになりました。 大正は何年から何年まで続いた? 大正は、1912年7月30日から1926年12月25日まで続きました。 約15年間と短いながらも大正デモクラシーなど、現代の文化に大きく影響を与えています。 関連記事: 昭和は何年から何年まで続いた? 昭和は1926年12月25日から1989年1月7日まで続きました。 昭和は即日即位だったので、1926年12月25日まで大正で、1926年12月25日から昭和です。 1926年12月25日は大正でもあり、昭和でもあるのでちょっとややこしいですね。 平成は何年から何年まで続いた? 平成は、1989年1月8日から2019年4月30日まで続きました。 平成は翌日即位だったので、1989年1月7日までが昭和で、1989年1月8日から平成です。 翌日即位の方がわかりやすいですよね。 明治、大正、昭和、平成はそれぞれ何年から何年までかのまとめ 明治、大正、昭和、平成はそれぞれ何年から何年までか、以下にまとめました。 明治:約45年間• 大正:約15年間• 昭和:約64年間• 平成:約31年間• 令和:未定 こうやって見てみると、明治と昭和が長いですね。 昭和は64年間続きましたが、昭和64年は1月1日~8日までと短かったので、昭和は実質63年間でした。 明治・大正・昭和・平成の中では一番長く続き、第二次世界大戦や高度経済成長、バブル経済などがあり、激動の時代でした。 逆に、明治・大正・昭和・平成の中で一番短かったのは、大正です。 なぜ、大正は短かったのかというと、明治が長かったのに加えて、大正天皇は元々体が弱く病弱だったりで、14年と短い間しか続かなかったようです。 明治からは 一世一元の制が取られているので、長い時代が続くとそのあとは短くなりがちです。

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